2026/01/26
コラム
みやけ工務店について②

★日本電建の下請け工務店に
小さなリフォーム工事や改修工事で、細々と食いつなぐ日々。
脱サラしたばかりでたいした蓄えもありません。
職人への発注費を少しでも抑えようと、先代自らが金づちを振り、奥さんが現場の清掃を行う。
文字通り、額に汗をかきながら仕事をしていた起業当初です。
そんな三宅工務店に、転機が訪れます。
当時、住宅業界で破竹の勢いの全国展開を進めていた「日本電建株式会社」が鳥取市に出店。
その下請け工務店として、弊社が選ばれたのです。(参照~日本電建)
弊社のような小さな会社では、ほとんど受注できなかった戸建て新築工事。
それが、日本電建の圧倒的な営業力によって一変します。
次から次へと、新築工事が弊社へ発注されるようになったのです。
営業をしなくても、毎月のように仕事が舞い込んでくる。
そこにバブル景気も重なり、まるで夢のような好況に恵まれました。
とはいえ、弊社はあくまで下請け工務店。
元請けが請け負った金額よりも低い単価での受注となるため、思うように利益が出ない現場も少なくありませんでした。
それでも、圧倒的な発注量が繁栄をもたらし、安価で工事をやりくりするノウハウも身についていきました。
その甲斐あって、先代の住まいも賃貸から持ち家の新築住宅へ。
おんぼろの借家だった事務所も、念願の新築社屋へと生まれ変わりました。
三宅工務店、初めての社屋は南吉方に構えました。
小さな社屋で、先代を含めスタッフは4名ほど。
それでも、確かな企業としての成長を感じていました。
仕事終わりの夕方になると、大工や職人連中がどこからともなく集まってきます。
冷蔵庫の缶ビールを開け、いつもの宴が始まる。
「まだ飲み足りないぞ」とばかりに、そのまま歓楽街へ繰り出すことも珍しくありませんでした。
先代もスタッフも職人も、とにかくよく飲む人たちばかり。
当時は、ほぼ毎日のように皆で飲んでいた気がします(笑)
コンプライアンスが厳しい現代では考えられないかもしれませんが、
それだけアットホームで、牧歌的な時代でもありました。
良くも悪くも、昭和から平成初期らしい「工務店」だったと思います。
現社長も、その頃から一兵卒として勤務を開始します。
営業をしなくても安定した受注がある――
そんな“ぬるま湯”の環境に、いつしか慢心していたのかもしれません。
自ら仕事を取る。
元請けとして本来当たり前の感覚を、知らず知らずのうちに忘れていたように思います。
しかし、そんな恵まれた時代も長くは続きませんでした。
ついに、終わりがやってきます。
日本電建の解散。
あれだけ好調だった日本電建が、なぜ――。
その理由を、我々末端が知る由もありません。
ただ一つ分かっていたのは、
「明日からは自力で仕事を取るしかない」という現実。
そして、「今までのように仕事は来ない」という事実だけでした。
自力で仕事を取る。
元請けであれば当たり前のことです。
しかし、ぬるま湯に浸かっていた弊社にとって、それは一大事でした。
不安しかありませんでした。
栄華から一転。
三宅工務店に、暗雲が立ち込めることになります。
―――









