2025/08/24
社長
バチバチの競合他社とお酒を飲んできたった①
住宅業界に従事して30年以上にもなりますと、競合他社とのバッティングは数え切れず、無数にあります。
多様性に富む現代において、施主様も1社のみではなく、複数の建築会社を比較検討するのが一般的となりました。
みやけ工務店以外に、A社、B社と見積り取りました、プランも書いてもらいました。。なんてことは日常茶飯事です。
もちろん弊社とて、全戦全勝は不可能で、競合他社に負けることも多々あるわけです。
そんなときはライバル社に勢いよく隕石でも落ちないかなぁと思うこともありますよね。。。
って、私は一度たりとも無いですけどね()
とまあ、この様に競合は日常茶飯事で、ライバルは打ち負かす対象、つまりエネミーなわけで、仲良くお酒を飲むなんてことは基本的に無いわけです。
日頃バチバチでやりあってる商圏もろ被りの競合他社と、和気あいあいとお酒を飲むなんてことはまずあり得ません。
某地方銀行のゴルフコンペ&懇親会などで顔を合わす程度でしょうかね。
で、このブログタイトルです。今述べたことと矛盾するようなタイトルです。
わたくしは先代から会社を継承したいわゆる2代目となりますが、これまでみやけ工務店だけではなく、他所の会社で計10年ほど勤務した経緯がございます。
そのうちの1社が旧プランニングホーム倉吉、現在のウッズカンパニーになります。
「え?三宅さんってウッズにいたの?しかも7年も?」と驚かれることがしばしばあります。
ってか、最近もウッズと競合して相見積もりしましたからね(笑)
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思い返すこと18年前。
わたくしが32歳、某建設業者で勤務していた頃、ウッズカンパニー先代社長(現会長)である谷本社長と工事現場で初めてお会いしました。
私が元請け工務店の現場監督、下請けの内装工事屋が谷本社長という関係性でした。
でまあ、何やかんやあって、谷本社長の会社で勤めることになりました。(説明はしょりすぎ)
簡単に要約しますと。。
「いつまでも下請け業はやってられない。いつか元請けになってBIGになるんだ。そのために手を貸してくれないか?」みたいな経緯でしたね。
わたくしはこれまで他所の会社を含めて一度たりとも下請け業で勤務したことが無く、常に元請け業者でした。
「監督さん、監督さん」とゴマを擦っていただける立場でした。上から目線の立場です。
が、わたくしは理不尽な下請けいじめなど一度もしたことがありません。無茶な値引きや踏み倒しなどもしたことがありません。
下請けの会社に入ってよく分かりました。
理不尽な現場監督がいかに多いかってことをね。
反面教師にさせていただきました。絶対、こんな元請けにはならねーぞと。
そりゃ下請けやめて元請けになりたい谷本社長の気持ちも分かるわと。
ただね、建築業界のタブーなんです。下請けが元請けをやり始めるって行為はね。
いわば下剋上ですからね。
下請けが元請けを始めた瞬間、干されます。今まで仕事を頂いていた元請けから、ごく普通に干されます。
これは仕方ない。なんで競合他社に仕事をやらないけんのだと。当たり前です。
そのリスクを負ってでも始める、元請けとしての建築屋。
谷本社長、わたくし三宅(店長)、設計士Kと3人で始めました「プランニングホーム倉吉」こと現ウッズカンパニー。
元請けから完全に干されるまでにはまだ時間的猶予が若干ある、その間に何とか建築屋としての体制を整えるんだ!
店舗も倉吉で出来るだけ目立つところに出すんだ!とにかく我らを認知してもらおう!!
そんな若さゆえの勢いだけでスタートした感が強かったですね。当時のその3人の平均年齢31.6歳くらいでしたからねぇ。
少し当時の業界状況を説明をしますと、我々3人は鳥取県中部・倉吉市で無名の「プランニングホーム倉吉」を旗揚げしましたが、弊社・みやけ工務店は鳥取県東部で先代がブイブイ言わせておりました。鳥取県西部ではタマホームが勢いがありました。
。。。
。。。。
あら、酒を飲み行った話を書くつもりが脱線しすぎました(笑)
続きは②~にて。
【33歳・店長時代】
※注
反社勢力ではありません。